ぼくの、味覚の根っこ。その弐 [黒森庵]
昨日は、ぼくの夕食当番だった。
「ぼくの、味覚の、根っこ その壱」でも書いたが、
ふつうお茶漬けというと、
白飯に日本茶をかけて、新香でサラサラと、
というかんじか。
うちにはそうではなく、もうひとつ、
それだけで夕食になる、
しっかり食欲を受けとめる「お茶漬け」がある。
その茶漬けに、
子どもの頃、ぼくは、ノックアウトされた。
たしか池尻あたりだったと思うが、
(世田谷区です。子ども時分のことなので記憶が定かでありません)
家族で夕食を食べに、小さな店に入る。
父はまったく酒を飲めないし、
母も外では飲まない(母は、飲むと強い)。
でも行ったのは、なぜか飲み屋風の店だった(ような気がする)。
父の友人が新規開店した店だったのかもしれない。
焼き魚とか焼鳥とか、
ぼくからすればみんな「大人の味」だった。
ぼくは料理には興味がなく、たいくつで、
ずっと、ご飯が食べたくて仕方がなかった。
手持ち無沙汰だったので、周囲を見渡す。
壁にかかったお品書きに
「お茶漬け」
とある。
見逃すはずはない。
「お茶漬けがいい!」
と声高にいう。
ほどなくして出てきたお茶漬けは、
今まで家で食べていたものとはまったく別物だった。
大きめの茶碗に品よく盛られたご飯、
その上に焼き鮭をほぐしたもの、
細切りの焼海苔、ぶぶあられ(京都言葉ですね)、
そしておろし山葵。
となりには急須。
「ぼく、熱いから気をつけてね、出汁が入ってるからね」
と店長さん(だったと思います)。
母がそれを聞いて出汁を注いでくれた。
出汁のすばらしき香り。
おそるおそる、すすってみる。
う、うまい!
魚もさほど興味がないはずなのだが、
シャケと焼海苔、そして出汁の渾然一体となった香り。
一気にかっ込む。
鼻にツーンとくる、子どもにとってはきびしい山葵さえも、容易に乗り切った。
それ以後、思い出すたびにうっとりする、
あの味を家で食べたい。
思い切りわがままに「出し汁茶漬け」が食べたい。
母に頼んだところ、極上の出汁を引いて作ってくれた。
最初は「シャケ(サケですね、江戸弁です)とタラコ」だけだった。
が、「鯛茶」がルーツか、いつしか鯛の刺身が増え、
ホタテの刺身なども少しの間タレにつけ込み(醤油Ⅰ:酒1、こんくらい)、
鳥のササミの幽庵焼きなど、
ほぐし、ほぐし
(向かって右は女将です。おかげさまで左手が使えるようになりました、このように)
徐々に具材が増えて今日に至ります。
薬味は山葵、細葱、大葉、三つ葉、茗荷、生姜、なんでもいい。
ベランダ菜園で穫れた青唐辛子
刻む。
同、大葉
細切り。
我欲の限り、
思いつくものをなんでもトッピングしてしまう。
友人を招待すると、
その人の「おおよその欲張り度」がわかります。
最近は一膳目は出汁をかけずに「まぜごはん」にし、
二膳目で出汁をかけて(鰹節薄削り+昆布+しいたけ 塩、酒、醤油、ま「こんくらい」です)
茶漬けを楽しんでいる。
出し汁の入った鍋を真ん中に置くので、
「お茶漬け鍋」というかんじですね。
さすがに最近は食が細くなったが、
それでも三膳くらいはすぐにいってしまう。
ぼくの、出汁に対する感覚は、
たぶん、この頃にルーツがあります。
ああ、うっとり。
「ぼくの、味覚の、根っこ その壱」でも書いたが、
ふつうお茶漬けというと、
白飯に日本茶をかけて、新香でサラサラと、
というかんじか。
うちにはそうではなく、もうひとつ、
それだけで夕食になる、
しっかり食欲を受けとめる「お茶漬け」がある。
その茶漬けに、
子どもの頃、ぼくは、ノックアウトされた。
たしか池尻あたりだったと思うが、
(世田谷区です。子ども時分のことなので記憶が定かでありません)
家族で夕食を食べに、小さな店に入る。
父はまったく酒を飲めないし、
母も外では飲まない(母は、飲むと強い)。
でも行ったのは、なぜか飲み屋風の店だった(ような気がする)。
父の友人が新規開店した店だったのかもしれない。
焼き魚とか焼鳥とか、
ぼくからすればみんな「大人の味」だった。
ぼくは料理には興味がなく、たいくつで、
ずっと、ご飯が食べたくて仕方がなかった。
手持ち無沙汰だったので、周囲を見渡す。
壁にかかったお品書きに
「お茶漬け」
とある。
見逃すはずはない。
「お茶漬けがいい!」
と声高にいう。
ほどなくして出てきたお茶漬けは、
今まで家で食べていたものとはまったく別物だった。
大きめの茶碗に品よく盛られたご飯、
その上に焼き鮭をほぐしたもの、
細切りの焼海苔、ぶぶあられ(京都言葉ですね)、
そしておろし山葵。
となりには急須。
「ぼく、熱いから気をつけてね、出汁が入ってるからね」
と店長さん(だったと思います)。
母がそれを聞いて出汁を注いでくれた。
出汁のすばらしき香り。
おそるおそる、すすってみる。
う、うまい!
魚もさほど興味がないはずなのだが、
シャケと焼海苔、そして出汁の渾然一体となった香り。
一気にかっ込む。
鼻にツーンとくる、子どもにとってはきびしい山葵さえも、容易に乗り切った。
それ以後、思い出すたびにうっとりする、
あの味を家で食べたい。
思い切りわがままに「出し汁茶漬け」が食べたい。
母に頼んだところ、極上の出汁を引いて作ってくれた。
最初は「シャケ(サケですね、江戸弁です)とタラコ」だけだった。
が、「鯛茶」がルーツか、いつしか鯛の刺身が増え、
ホタテの刺身なども少しの間タレにつけ込み(醤油Ⅰ:酒1、こんくらい)、
鳥のササミの幽庵焼きなど、
ほぐし、ほぐし
(向かって右は女将です。おかげさまで左手が使えるようになりました、このように)
徐々に具材が増えて今日に至ります。
薬味は山葵、細葱、大葉、三つ葉、茗荷、生姜、なんでもいい。
ベランダ菜園で穫れた青唐辛子
刻む。
同、大葉
細切り。
我欲の限り、
思いつくものをなんでもトッピングしてしまう。
友人を招待すると、
その人の「おおよその欲張り度」がわかります。
最近は一膳目は出汁をかけずに「まぜごはん」にし、
二膳目で出汁をかけて(鰹節薄削り+昆布+しいたけ 塩、酒、醤油、ま「こんくらい」です)
茶漬けを楽しんでいる。
出し汁の入った鍋を真ん中に置くので、
「お茶漬け鍋」というかんじですね。
さすがに最近は食が細くなったが、
それでも三膳くらいはすぐにいってしまう。
ぼくの、出汁に対する感覚は、
たぶん、この頃にルーツがあります。
ああ、うっとり。
2010-08-30 17:45