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4月7日の、ひとりごと。



このところの「ひとりごと」は、


ちょっと緊張した体感が続いていたので厳しい内容が多かった。




今でも「高値安定」傾向は変わらないのだが、


なにかここらで「一休み」のような、


ちょっとだけ穏やかな印象がある・・・


静寂な印象のある・・・数日が続いていた、のかな。



でも、落ちついて体感をしてみると相変わらず大地の下では違和感は続いている。

たしかにアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感覚が強いので、

通常の生活をしていると見過ごしがちではある。



違和感としてのスライド感は、相変わらず東京以東5〜7:以北3〜5。

ということはぼくの中では相変わらず「千葉県東方沖」そして、

東京以北内陸〜沿岸〜沖での発震が続くとみている。

あとは埼玉県南部。



体感というのはとても表現が難しい。

「まさにいま」違和感を感じていても、それはしつこくしつこく続き、

さまざまな変化の後に、大きな発震へと続くわけだから、

「今感じていること、即、明日の地震」

とはならないからだ。


また逆に、歪みが飽和している場合は、

コップに水を注いで、表面張力でいっぱいいっぱいになったところで、

最後の一滴を垂らすと、一気に水がこぼれ出す、

そういう感じで発震が起きる気がする。


だから、気が抜けない。

ピークがどこにあるのかというのは、日々体感し続けないと分からない。

変化を感じ、変化の方向を記憶し、変化の持続期間を記憶し、

小さな発震がどこに起きているかを毎日チェック・記憶し、

それらをミキサーにかけて次の発震のピークを予測するのは、

加齢中のぼくにとってはかなり難しい作業だ。




でもその体感、4月3〜4日あたりからわずかに変化し出し、

5〜6日はなぜか、やや穏やかな印象もあった。

楽な体感になるというのもこれまたなかなか確認作業が難しい。



最初は、

「あれ、なんか、昨日とちがうな」

くらいから始まって、

「あ、いつもよりちょっと気分が楽かな」

とか、

「あ、いつもより少しよく眠れた気がする」

という状態が増え出してゆく。



数日それが続くと、

つくづくそれまでの体感がいかに強く、

身体にとってきついものだったかということが身を以て分かるので、

「ああ、じっさいにここ数日はいつもとちがうな」

と分かる。

肩・首も張れば、耳鳴り、睡眠障害もあれば、

さまざまな違和感がつきまといながらの日々の生活から、

振り返ってみると、解放されていたりする。




一方、4月1日の福島県沖M5.0最大震度5弱以後、大きな発震は止まっている



これがぼくの最近の体感が穏やかに感じる時期があったからといって、

それが同期しているかどうかはまったく分らない。



身体が、ふっと楽になった後、発震というケースが少なくないし、

相手は自然、常に気を張って体感をし続けないと、

いつ、なにが起きるか分からないのだけど、

このところの違和感の軽減はぼくにとっては

「鬼の居ぬ間の洗濯」

だったかもしれない。



今日4月7日は、最初に述べたようなふたたびはっきりとした違和感に戻ってきている。

定点観測用の、普段は微動だにしない振り子がわずかに振れているということは、

なんらかの大地の動きがあるということだ。




できるときに、適度に楽飲し、楽食し、楽眠しようと思う。


震度5程度の地震には慣れてしまい、


巨大地震の可能性も各研究機関から指摘される時代に、


ぼくらは生きているのをこころに留めながら。




2012年4月7日の、桜.jpg
桜が満開です。



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