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加速感。 [こころのなかの、こんくらい]



自分の中の変化が大きいのか、

世の中が大きく動いているのか。



今日も煎餅を買いに、人形町を往復してきた。
(最近、煎餅は必需品なんです)



1964年東京オリンピックに間に合わせるように作られた

急カーブのたくさんある渋滞だらけの首都高速道路を使い、

周囲に立ち並ぶ新しくできたガラス張りの高層ビル(流行?)の

合間を通り抜けながら、

むくむくと湧き上がった感覚。



「いつまで、こういうことをやっているのだろう?」



どのビルも、どの階も、

煌々と眩しいばかりに照明がついている。



大都会のビル、

いったいどれだけの電力を消費してるんだろな。



出勤・退社に欠かせない電車・地下鉄は

今や都会ではだれもの生きる「必需品」だけど、

じっさいにはどのくらいの電力を消費してるんだろな。



都会を網の目のように走っているバスたち、

トラックたち、商業車たち、乗用車たち、

どのくらいの石油燃料を消費して、

どのくらいの排気ガスを空中に撒いてるんだろな。
(ぼくも、その一員です。あまり乗らないようにしてるけど)



いつまで、今見てる光景は続くんだ?



ぼくは最近ずっと明け方に日の出を撮ってるけど、

電車も自動車もバスもトラックも走っていない時間帯というのは、

じつに静かなんだ。

ぼくにとって静寂は、癒しの時間でもある。



ふと、そんなことを考えていた。



煎餅を買って、

人形町からの帰路は、一般道路を走ろう。

高速道路が激渋滞だからね。



東京駅周辺、六本木周辺、赤坂周辺を走ると、

大きく様変わりしていて、昔の面影を探すほどだ。



壊しては作り、作っては壊す、

スクラップ&ビルドは、たった今も続いている。


100年後、いや、

50年後・・・

いや10年後でいい、

この光景はどうなっているのだろう?



「古いものを大事に使う」という言葉は

この国にはなくなっちゃったんだろうか?



街だけでなく、

家電製品も、自動車も、洋服も、

どんどんと新しいものに入れ替わり、

修理をするよりも買ったほうが安いという時代。



それは、ぼくたちが望んでいること?



ぼくたちは、どこへ向かおうとしているの?



誰かが(あるいはある種の集団)が

このような流れを作ったのかもしれないけど、

このまま、このようなことが持続するとは

ぼくには思えない。



大量生産・大量消費、という時代は

終焉を迎えつつある気がする。



でも、

それよりももっともっと大きな、

根元から変化するような出来事が

これから起きるんじゃないか、

そんな感覚がある。



今はまだ「何も変わっていない」ように見えても、

根本的なところでなにか、

巨大な何かが蠢いているような、

そんな感覚が続いている。



ぼくの今の感覚、

それはイメージとしては、

大きな渦に巻き込まれるときの感じに似ているのかな。
(巻き込まれたことないけど、例えです)



渦の外側をうろちょろしてるときは

その変化をほぼ感じないけど、

実際には僅かずつ渦の中心に向かっていて、

それが少しずつ加速され、

中心に近付くに従って

「あれ?なんかへんだな」

「今まで、こんなに速かったっけ?」

と感じだし、もっと中心に近付くと

やがてどんどん加速しだし・・・



そういう感覚を、今まで以上に

ダイレクトに感じ出している。



ぼくだけでもないような気がするし、
(うちの子リスたちも感じているようだし)

住んでいる地域だけのことではないような気がするし、

日本だけのことでもないような気がするし、

世界的に大きな変化が起きようとしているのか。

あるいは、ぼく自身が変化しているのか。



それはまだ分からない、

分からないんだけど

日々感じ出していて、

そして、

それは加速している。



それは見えないものへの怖れではなく、

むしろそれは、わくわくしたものだ。






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ビルの谷間の、お漬物屋さん。



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志乃多寿司昨今。



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ビルの谷間の、古い建物たち。



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生まれ変わった(とでもいうか)水天宮。



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5年前の水天宮交差点付近植え込みは、約0.4μSv/hでした。
(左はガイガーカウンター、右はシンチレーション・サーヴェイメーター 2011年9月14日15時03分頃撮影)










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