ワラーチ"man3DALs"、番外編。 [ワラーチ]
今日は台風一過の快晴!
そうなるてぇと
ワラーチ"man3DALs"で
どうしても歩きたい!
GO!!
もうこの時期
あちこちでドングリが転がってたり。
台風一過の、神田川。
Angel Stein(エンジェル・ステイン)が
開店11分で
またもやぼくの前の人で売り切れだったり。
赤トンボが道端に落ちてたので
レスキューしたり。
駒場東大近くに
オープンしたばかりのカフェを見つけて
Espressoを頼んだら
びっくり、
すごくおいしかったり。
Gratbrown
ドアノブ・把手屋さんを見つけたり。
渋谷に向かう途中に
小料理屋?定食屋?
気になるお店があったり。
すてきな自動車たちを見たり。
渋谷はただでさえ人が多いのと
最近は観光客も多いのでパスし
青山界隈を散策・・・したころから
足の裏が痛くなり出し・・・
目指す浅草には行かず
帰路についたり。
5時間くらいなにも食べていなかったので
笹塚で洋食屋さんに吸い込まれたり。
家に戻ったら
日の入りに時間だったり。
富士山もくっきり見えたり。
美しかったな。
気の早い月も出てたり。
今日もよく歩いた。
20kmくらいかな。
母子球のあたりに両足共に豆ができていた。
なぜかというと
今日はできるだけ走ったからだ。
ワラーチ"man3DALs"の真の醍醐味は
ランにあるのだから
走らない手はない・・・もとい
走らない足はない。(へん?)
とはいっても、ショルダーバッグと
ミラーレス一眼12~100mmレンズの
たすき掛け状態だから
そんなに走れなかったけど
(でも、それもよかった。
というのは、揺れないようにするためには
腰を落として静かに小走りをしなければならないので
それが"man3DALs"の走りに適していた)
やっぱり、シューズとワラーチは全然違った。
一番最初に裸足ランをしてみて
すぐ直感したことと
今こうして
「紙一重」の"man3DALs"で走ってみても
同じ感覚がある。
それは
「一歩、一歩」
確実に足裏の感覚が
「毎回、毎回」
脊椎を伝わって脳に情報として伝わり
それを判断した脳が出した情報を
全身で「共有し」
全身で「走ってる」
そういう感覚がある。
身体の細胞すべてを総動員している
そんな感じだ。
それが如実にわかるのは、小石などを踏んで
「痛い」と感じたその瞬間
全身が総動員して、痛みからのエスケープを試みる。
とにかく「一歩、一歩」すべての情報が
足の裏と脳との間で交換され
その都度、毎瞬毎瞬
「最適化された」走りの動きが誕生している。
これは山形の山寺の石段でも感じたし
蔵王の御釜を早足で駆け巡ったときにも感じた。
一方、ランニングシューズだと
地面からの情報が希薄なので
「ただひたすらコンスタントに走っている」
そんな感覚になるのかな。
そこには
「全身が一眼になって、走るという目的を達しよう」
というような一体感が希薄な気がする。
マラソンランナーでもないぼくが
こんなことを言うのは誠に僭越だけど
なぜか、そう感じる。
そのすばらしいワラーチ"man3DALs"
でも、さすがにそろそろ
ポリエチレンソールは限界的な薄さになった。
それでも裸足でアスファルトのランは
まだ厳しいぼくにとっては
ワラーチ"man3DALs"は
ほんとうにありがたい存在です。
昨日、一度ワラーチの総括はしたんだけど
今日はどうしても走ってみたかったから
「番外」として、書いてみました。
足の裏が痛かったので一休みして起きたら
良い月が、出ていました。
2017-10-31 00:05
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