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整理しておこう、と思う。


ワラーチ・man3DALsというものに出会って

あっという間に

明日3ヶ月になる。



まさに怒涛の3ヶ月だった。



作っては「耐久テスト」

作っては「耐久テスト」

雨も降り

山形「山寺」に3回登り

山形「御釜」に2回登った。

巨大な豆も左右に3つ出来た。



ここらで、一度、整理しておこうと思う。


事の発端は

ぼくが「小黒森庵=マイクロモリアン」

トレーラーハウスを作っていて

佳境に差し掛かった時

「履物」の置き場が想像以上にスペースを取り

困っていたところ

古武術研究家甲野善紀さんのTLで

「ワラーチ・man3DALs」

というキーワードがあったからだった。



そして甲野善紀さんはその日を起点として

毎晩「裸足ラン」を試みていた。



ペラペラな一枚のスポンジ板が

靴の代わりになり、しかもそれで

フルマラソンが出来てしまうという。



さらにその開発者ご本人は

じつは「裸足」こそが一番良いのだ、という。



驚くべきだったのは

ご本人は裸足で

富士山登頂レースで完走されていた。



「裸足」とは?



「裸足」というのが

人間本来の生き方なのだろう。



周囲を見さえすれば誰でも気付くように

人間以外の動物は「履物」を履かない。



人間だけが、いつしか

「履物」のお世話になる生活へと変化した。



はて。



自分の人生で

「履物」を履き始めたのはいつの頃だったか。



記憶では、幼稚園あたりからが鮮明だ。


それはなぜかというと

「上履き」というものを

生まれて初めて履いたからだった。


めんどくさい

と直感したのを

今でも鮮明に覚えている。



てことは、その前は

ぼくは家では

何を履いていたのだろう。



少しずつ思い出してきたが

家には小さいながらも庭があり

そこには芝生があり

庭へはいつも裸足だった。



そして、思い出すのだが

部屋でも裸足だった。



そしてさらに庭には

小さいながらも「MY・砂場」があり

そこがぼくのお気に入りで

それはおばあちゃんの部屋の目の前だったから

いつもそこから裸足で直行だった。



遊んだ後は

母がバケツを用意して足を洗ってくれて

元来たおばあちゃんの部屋に戻って行った。



たしか裏庭は土がむき出しのままだったから

夏でもひんやりとした感覚とか

転んでも膝を擦りむくでもなく

大地がなんとなく受け止めてくれているような

そういった感覚が今でも

ぼくの身体の細胞のメモリには残っている。



それはコンクリートの地面で転ぶのとは

天と地ほどの差があった。



そう、幼稚園へ入園前というのは

ぼくの生活のテリトリーは

ほとんど家とその周辺だけだったから

いつも裸足だったんだな、きっと。



家の中ではスリッパなど履かず

もっぱら裸足だった。

もちろん冬でも。



「寒いから」「足を冷やすから」

と言われて

靴下を履きなさいと言われても

意味が分からなかった。


それが当たり前だと思って生きていたから。


そして履くといつも不快だったから

すぐ脱いでいた。



下駄とか草履を履いた記憶も、ない。



ただ。



靴下を履きなさいと言われて

いつものように

廊下の板の間を走ろうと思っても

ツルツルと滑って走れなくて

もどかしくて仕方がなかったけど

それは面白かった。



廊下の端っこから

なんとか走り出して

途中でストップをかけると

スケートのように「スーッ」と滑るのが

面白すぎて、すぐに靴下に穴を開けた。



穴が開いたことを知らずに滑り続けて

摩擦で火傷をして痛い目にもあった。



小学校へ入学する。

制服姿は、たしか運動靴だったような。
(革靴だったか、なぁ)


そのあたりからだ、

日常的に靴を履くようになったのは。



中学か高校生の頃だったか
(かれこれ50年になるのか、嗚呼)

ハワイ・オアフ島の

両親が親戚付き合いしている家に

ホームステイしていた時

そこの長女さん(同い年くらいだったか)が

一日中裸足で生活をしていて

素晴らしいと感じた。

羨ましいと感じた。

目から鱗だった。



熱々のアスファルトの道路も。

自動車の運転も。

スーパーマーケットの中も。

もちろんビーチも。



でもそれは

ハワイという島全体がきれいで美しいから

そういうこともできるんだ

だからそういう発想も生まれるんだと

自分で勝手に納得させていた。



東京に帰ってきて

でも一回やってみようと思い

家を出た途端

タバコの吸殻を見つけて

その瞬間にやる気が失せた。



今、齢60ん年目にして、再び

「裸足」の快感を味わうことになるとは。



今回も、同じ東京だ。

家を一歩出れば、やはり吸殻が落ちている。



でも、「裸足生活」を見直したい。



それは、なぜなのか。



身体が「快」を求めているからに違いない。

同時に、自分がより身体の「声」に

耳を傾けられるような体制が

今あるからだと思う。



最終的にはたぶん

裸足が最も人間に適しているのだと思う。



足の裏には全てのツボがあるとも聞く。


靴を履くという行為は

本来ならば

一歩一歩歩くその度に

その全てのツボを押す行為を

一切合切シャットアウトするということになる。



かといって

そうは思っても

すぐには「裸足生活」へは到達できない。



思い立ったとしても

すぐ裸足で歩き出したり走り回ったりすれば

足の裏は悲惨なことになるだろう。



実際のところ、ぼくは

自作ワラーチの「耐久テスト」をしていて

両足裏に巨大な豆をいくつも作って

足全体が腫れたり(足の甲まで)

熱を持ったりした(こんなことは初めて)。



いずれにしても

今ぼくが夢中になっている

ワラーチ・マイシューズというのは

「靴を履くことが当たり前」

という人生から抜け出て

「裸足」

という人間本来の生き方に近づくための

ツールとしてあると思う。



そのための「介助用品」だと

ぼくは思っている。




それにしても、この流れ、

すばらしいのだ。



何度も言うけど、

自分専用の

超軽量・超ハイパフォーマンスの「履物」が

安いものなら70円以下

どんなに奢っても300円程度で


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手に入ってしまうのだから。



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