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ぼくの、瞑想。 [好奇心]



ぼくは、しばしば瞑想をする。

瞑想と聞くだけで

「宗教的」「スピリチュアル的」

と脊髄反射する人もいるかもしれない。



あるいは

「瞑想って、難しそう」

って思う人もいるかもしれない。



でも

ぼくの瞑想はそんなもんじゃなくて

すごく、簡単でナチュラルなものだ。



言葉なんてなんでもいいんだけど

それを

ぼくは「瞑想」と名付けているだけだ。



自分との対話、ていうか。



自分自身が

本当のところはどう思ってるんだろう、とか。



本心をさらけ出す瞬間、ていうか。



バリアを解く、ていうか。



そう。



バリアを解くと

その瞬間に

なぜか一体感が生まれ

ドカドカドカと

「なにか」が入ってきたりする。



バリアを解くとその瞬間に

「見えない会話が成立」したりする。



スピリチュアル的には

それを

「チャネル」と呼ぶかもしれない。



そんな定義はどうでもいいんだけど。



じつは、人は

起きた時から寝る時まで

「周囲」と「自分」を

常にアジャストしながら生きている。



これをすると、どう思われるだろう

とか

こんなこと言ったら、嫌われるんじゃないだろうか

とか

こんなことして、いいんだろうか

とか。



これだけたくさん人がいるんだから

誰かがそばにいる限り

そして

これだけたくさん情報が飛び交うんだから

なにか仕事をしている限り

アジャスト・ジャッジは

その人の判断・行動の中心に居座る。



人は、自分で感じないところで

じつは、たくさん演じている。



「一番うまく、その場が流れるようなポイント」

を、探して動いている。



水が、必ず

高いところから低いところに流れるように。



多かれ少なかれ

人はそうして生きていると思う。



それはでも

決して悪いことでもないと思っている。



それもじつは

その人そのものなんだから。



だけど。



だから。



ぼくはしばしば一人になり

自分を思い出すために

瞑想をする。



誰にも教わったことはないし

足を組むわけでもないし

指で形を作ることもない

座ってたり、立ってたり。



それはダラダラとしたもんじゃなく

一瞬の出来事。



「直感」ていうけど、まさに一瞬。



それで、いい。



自分、にタッチする。



その「一瞬」に繋がると

ドカドカと情報が入ってきたりする。



インスピレーションていうか。



そして、その時、風が吹く。



ぼくはほとんどいつも

屋上で瞑想をするんだけど

「繋がった瞬間」に

それまで無風だったのが

びゅう、と風が吹く。



それが「繋がった時」のサインだ。



つながりが強いほど、風は強く吹く。



昨日も、18時頃に瞑想をしに屋上へ行った。



行った時は、無風だった。



でも、瞑想をし出し

繋がる度に、風が吹いた。



そして最後に

ぼくが思い出せる限りの

向こうの世界へ旅立った人々を想った。



「どうか、ぼくを平和の道具に使ってね」



と祈った瞬間

身体が揺れるくらいの風が吹いた。



信じてもらえない話かもしれないけれど

これが、ぼくの瞑想の現実です。



日課にもしてないし

気が向いた時だけしかしてないけど

とても気持ちが良いので

今も、続いてる。



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