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微生物・ウイルスたちとの、共同作業?



ずっと、ずっと、思い続けていること。




人それぞれなので

直接勧めることはしないけど

今、こういう状況であっても

過ぎる除菌は、ぼくはしません。



今まで通り

外に出て

家に帰ったら手を洗う

そのくらいです。
(飲食業なので手の洗い方は「プロ」ですが 笑)



風呂へ入っても

毎回身体全身を洗うわけじゃないし

マスクも忘れてかけないまま

買い物に出かけたりしています。



コロナコロナコロナコロナというけど

冷静になって周囲を見ていて

ぼくの交友関係では

誰一人として重篤になった人間はいないし

ましてや他界した人も一人もいません。



一方、周囲で

インフルエンザに罹った友人は毎年います。



FB・Twitterを見ててもぼくの友達には  

「A型にかかった〜」

「子どもが急に熱が出て病院へ行ったら
『インフルエンザですね』と診断された、ショック」

「インフルに罹った、高熱で死ぬほど辛い」

「治ったと思ったら、また罹った」

というような投稿は毎年見られます。



でも、一方でSNSなどでは

「コロナにかかって辛い」

「子どもがコロナにかかったので学校へ行けない」

「おじいちゃん(おばあちゃん)がコロナにかかって
心配で仕方がない」

「Covid-19で親友が亡くなってショックだ」

そういう記事は一度も見たことがありません。

(ちなみにぼくはTwitterでは
4,500人くらいのフォロワーがいます)



だから、と

なにかへ導こうという気持ちはまったくないけど

ぼくのこころのなかでは

Covid-19よりも

いつものインフルエンザのほうが

ずっと手強いと思っています。



なので。



Covid-19に絡んで投稿があったりすると

すぐさま

「え?」

「ファクトチェックは?」

という態勢に、ぼくはなります。



ほとんどの人は(かくいうぼくを含めて)

マスコミないしはSNSから流れる情報を頼りに

ああだこうだと言っているわけですから。



自分でニュースソースを取りに行って発言している人は

いったいどのくらいいるのでしょうか?



地球の反対側まで行って?



ま、それも、それとして。



人間が

「生きる」ということは

いったい

どういうことなんでしょう?



ぼくたちの「身体」と認識している

「物体としての身体」とは、いったい。



「身体」の周囲

あるいは「身体内」には

夥しい数の微生物が存在していて

じつはそのバランスによって

「生かされている」

とも言えると

ぼくはずっと思って生きています。



「頭が痒い」とすれば

そこにはきっとなんらかの

微生物の繁殖があったり。



お腹が痛い時には

きっとなんらかの

善玉菌と悪玉菌の凌ぎ合いが生じていたり。



もっと言っちゃえば

ウンチが出たり出なかったりするのは

自分の消化器系の「性能」よりも

じつは

「微生物たちのおかげ」だったり

などと考える、ぼくなんです。



そんな中

芋煮、そしてフルーツが

ぼくの食生活に飛び込んできたのは

素晴らしいプレゼントでした。



よく考えれば

「食物繊維」ばかり食べてるような食生活。



なにしろ一日3回、快調なのですから。



そして、たくさん食べても

体重の増加がほとんどないというのも

「微生物たち」の活動のおかげかな

などと思ったりしています。



なのでぼくが

「生きる」という時は

じつは

微生物たちとのcooperation=共同作業なのかな

と思ったりしています。



どんなに小さい存在であっても

逆に大きな大きな存在であっても

それらの総和と調和によって

自分は生かされていて

それが

よりよい環境へと変化するとすれば

その人個々人の心というか

愛の感覚の変化なのかなと

思ったりしています。



これからは

心の時代、愛の時代。



ぼくはそう感じて

「今という時」

を精一杯生きようと思っています。



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