原宿という、街。
ぼくが原宿に興味を持ったのは
車を運転するようになってからかな。
よく「通った」街だった。
50年+αほど前の原宿というのは
今とはまったく異なっていて
どちらかといえば地味で
落ち着いたというか
でも外国人が多く
ちらりとお洒落
そんなかんじだった。
コープ・オリンピアの
エントランスを入り
数段階段を降り左を見ると
そこには
「ダイネット・オリンピア」
という
まさに本場のダイナーがあった。
コーヒーを頼むと
白い分厚いカップだし
ルートビアもあったし
ミルクシェークもあった。
ハンバーガーは当時だと
本格的なのはここと
あと六本木の
「ハンバーガーイン」くらいだったか。
今のM@cなどとはまったく違う
アメリカの「ダイナー」の空気が
そのまま感じられる店だった。
「ミニッツ・ステーキ」も
たしか、ここで初めて食べたと思う。
あれ、オニオンステーキだったか
それとも、ガーリックだったか。
メニューとかブックマッチの
デザインとかフォントも
アメリカっぽかった。
地下には
「オリンピアフードライナー」という
今でいう「スーパーマーケット」があって
外国食材・用品などが売られていた。
スーパーマーケットといえば
表参道を登り青山通り交差点を右折すると
紀ノ国屋スーパーマーケットがあった。
ここも異国情緒満載で
当時からグリッシーニがあり
(本場のとはちょっと違うけど)
小学生だったぼくはそれを
サイダーにつけて食べるのが好きだった。
青山通りを赤坂方面に向かうと
左手には「ユアーズ」という
24時間営業のスーパーマーケットがあった。
ここも異国臭ぷんぷんで
店の入り口にはチャイニーズシアターのように
有名スターの手形が飾られていた。
深夜に行くと
芸能人と思しきカップルが
楽しそうに買い物をしていたり。
もうちょっと赤坂寄りに歩くと
十字路の角には
石津謙介さんの「VAN」があった。
父が石津さんとご縁があったので
社長室でお会いしたことがある。
なんともおしゃれな社長室には
当時はまだ珍しかった
「振り子玉のオブジェ」があった。
ぼくがすごく興味を示してるのを見て
「持って帰ります?」
と気さくに話してくださったけど
その瞬間
糸がもつれたらどうする?
と思って辞退した記憶がある。
さらにもうちょっと足をのばすと
東京ボウリングセンターがあった。
最初の頃はまだ自動ではなく
一球投げるたびに人が降りてきて
倒れたピンを手で拾って
再び充填していた。
「ピンボーイ」と呼ばれていた彼らは
子どものぼくがストライクを出したら
手を振って拍手をしてくれた。
原宿駅を見ていたら
次々と当時の記憶が蘇ってきた。
もう50〜60年前のことなんだ。
ここまで、あっという間に来ちゃった、なぁ。
いろいろネットで調べてたら
表参道の広い道路が
出来たばかりの写真とか
同潤会アパートの写真が見つかった。
ヒョロヒョロだった街路樹が
見事に、立派になっている。
光陰矢の如し。
2020-08-25 00:19
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