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リアナ・グループ皆さんの、宮城鳴瀬一中避難所出の、炊き出し再び!




リアナの皆さん、


ブログアップが遅れてしまって、ごめんなさい。



今回もぼくは女将のことで参加できなかったが、


とてもすばらしい炊き出しをやってくださった。



銀座リアナ、赤阪リアナ、

その他にもたくさんの姉妹店を持つ、リアナ・グループ。

シェフでもあり、経営者でもある横山さんを始め、

各店の店長さんたちが集結した。


夕食は前回同様イタリア料理だったようだが、

今回は、彼らは避難所で被災された方々とともに一泊し、

翌日の朝食まで炊きだした!


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短パンにコックコート。


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朝食の塩鮭。


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朝ご飯できました。


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朝食スタート。


選び抜かれた食材。

出来たての和食。

しかもしっかりとした和食器で。


口々に

「こういう炊き出しが食べたかった」

というご意見があったという。



そうだろう。


被災して4ヶ月経っても、

支給されたパン、おにぎり、弁当だったのだから。



横山さん、リアナグループの皆さん、

ほんとにご苦労さまでした。



ところで鳴瀬一中の避難所は、

今月いっぱいで閉鎖されることになったという。


元々は「武道館」と名付けられた体育館は、

中学生たちの元へと戻る。


被災された方々は、仮設住宅、親類縁者の元、

あるいは自腹を切って住居を借りるそうだ。


そして何度も書いたと思うが、

避難所を離れたその日から、

食料の支給は一切なくなる。

その日から、すべて自分で行きてゆかなければならなくなる。


肉親を失い、職を失い、失意の中で4ヶ月を過ごし、

自動車もなく、再就職もたいへん厳しいだろう、

そういう状況で避難所を出て、

立ち直りのきっかけを作らなければならない。



想像を絶する厳しい生活が待っているだろうけど、

どうか頑張ってくださいとしか言えません。


せめてぼくらができることは、

皆さんのことをいつも忘れないこと、

チャンスがあればいつでも駆けつけること、

ちょっとだけ勇気付けること(できるかな)。



いまぼくは、

ぼくの最愛の女将のことと、

実母のことで一杯一杯だけど、

彼女たちが快方に向かえば、

これからも何度でもそちらに向かいたいと思っています。



仮設住宅にも炊き出しに行きたいと思っています。

その節はまたよろしくお願いいたします。



不思議なもので、

同じ時期、山形の勇気さんからもメールが来ていたので、

転載させていただきます。



みなさまへ

3月11日の大震災以降、未曾有の大災害を間近に見てきた一人の人間として、
親しい人には知らせたいという気持ちで、この通信を続けてきました。

地震・津波・原発という今まで経験したことのないできごとを少しでも知っていただいて、
ありがとうございました。

これから日本全体の復興まで、
多くの山を乗り越えて行かなければならないでしょう。

この通信は、これを一区切りとしたいと思います。
それは、もちろん震災を忘れてしまうということではありません。


今日、高校時代の友人に誘われて、
山形県の北部にある雪深い『次年子』・・・(じねんごと読みます)に行って来ました。

ローカル線の奥羽本線で、山形駅から約一時間。
窓の外は真っ赤なさくらんぼ畑で、緑色の稲が風にそよいでいます。
大石田という駅で降り、そこから車でだいぶ山の中に入りました。

雪が多過ぎて、その年に生まれた子供を
雪がとけた次の年に届け出たから、
次年子というのだそうです。

いわゆる過疎地ですが、蕎麦を打つ農家が何軒かあります。

美しい景色でした。
車は、廃校になった小学校の校庭に停めました。


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緑の中にある円形の赤い屋根が、かわいらしい。


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アップダウンのある山道に沿って、ポツポツと農家が建っています。



深呼吸をしたいところですが、話は放射線量の話題になりました。
彼女は理系で、非常に詳しく話をしてくれました。

山形がなぜ放射線量値が低めか、福島でなにが起きているのか。
山形県ではまだ作物に影響はないとされています。
しかし、この景色にまったく不適当な話ではありますが、
こんな純粋無垢な地域でも放射能汚染の可能性があるということ。
日本にとんでもないことが起こってしまったことが実感できました。

これ以上のことが起こらないことを祈るばかりです。
だれもが知恵と努力を積み重ねて克服して、
子どもや孫たちのために、
美しく、やさしい日本を残して行きたい。

またこれからも、できる範囲で被災地支援をしていこうと思っています。

蕎麦には目のない私のこと、
大石田で食べた素朴な蕎麦と、
野菜の天麩羅の写真を添付します。


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すみません、食べてしまってから写真を撮ったので
少し減ってしまっています。

みなさん、山形にもいらしてくださいね!

みなさんご存じの【山形歴史たてもの研究会】のHPが
できました。 どうぞご覧ください。http://www.retorokan.org/




被災地も大きな転機が訪れようとしている。


世の中は今でも原発事故は終息する気配も見えず、

汚染牛に代表される食品汚染は広がるばかりだ。



来年の今頃、この国はどうなっているのだろう。



朝起きて、まず思い浮かべるのはこの国の行く末です。



日本人としてこの国に生まれ、

いつのまにか還暦を迎えようという歳まで生きてしまった。



朝起きて、計測器で放射線量を確かめ、

毎食の食材を真剣に探し、

浄水場の汚染値をネットで調べる日々、

阿々。



これがあと、何年続くのだろう。



そして、ぼくたちが住むこの日本列島に、

さらなる災害が起きないとも限らない、

もとい、

きっと起こるであろう東海・東南海・南海地震、

そして横綱級の富士山噴火さえ視野に入れて、

これからの日本人は生きる計画を立てなければならない。



ぼくは、いい。


ぼくは、もう充分生きたといってもいい。


でもぼくらの子どもたちは、


人生はこれからなんだ。



だから、


償いを含めて、


ぼくたち日本人が真に幸せを感じられる世界になるために、


ぼくは女将とともに、どこまでも頑張る所存です。


ツール・ド・築地ショット.jpg
Amore e Pace!



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