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愛おしむ、こころ [こころのなかの、こんくらい]

シャスティンさん一刷り.jpg



昔とちがって、

右肩上がりの経済成長が望めそうにない時代に生きるぼくたちは、

より堅実に生きてゆかなければならなくなった。

永遠に右肩上がりするわけはないと思うので、流れとしては自然な気もするが、

それにしても今の不況、元気のなさは、

ちょっともう、あきたなぁ。



経済も、政治も、来年の今ごろがどうなっているのか・・・、

そんな状態だ。



それならそれで、

ひとつ、ここらへんで、

もういちど自分たちの生き方を見直してみるのも悪くないな、きっと。


ぼくらの親の世代が抱く「夢」というのに、

3Cといわれるものがあった。


Car(自動車です)

Cooler(冷房ですね。エアコンの前ですから、まだ冷やすだけです)

Color TV(カラーテレビです)



若い世代の方々は、まさか、と思われるかもしれないが、

ぼくが生まれたころには、テレビもクーラーもなかったし、

自動車もたいへん高価なもので、街にラッシュアワーなどという言葉はなかった。


ぼくが記憶している限りでは、

うちの最初の冷蔵庫は氷で冷やすものだった。



電化の波が押し寄せ、

テレビが生まれ、

電気洗濯機が生まれ、

電気釜が生まれ、

クーラーが生まれた。

みな、目が飛び出るほど高価なものだった。



現代。

今ではそれらは、もはや夢などではなく「日用品」だ。

さまざまな商品が、コスト競争で生き抜くために

どんどん、驚くほど安くなっている。



そこにある日、ユニクロが登場した。



低価格に驚かなくなりつつある消費者が、

それでも驚く価格での登場だった。



価格だけではなく、デザインもよかった。

多くの家庭に、あっというまにユニクロが入り込んだ。



日々ユニクロを着つつ、そしてやがて、人々は気がついた。



ユニクロがあれば、基本的に、生活することに、なんら問題はのないことを。



じつはこれは、たいへんなことだと思う。



世界の歴史の中で、

これほど安く、機能的で、長寿命な衣服を、

これほど多くの人々が入手できる時代があっただろうか。



ぼくもいまでは、日常はほとんどユニクロだ。

ボトムズ(ズボン、半ズボンなどですね)などは、

ぼくはよく自転車に乗るからそうとうに酷使されるが、

何年履き続けても、ほつれも、破けも、穴あきもない。


新しい機能、たとえばドライ繊維、保温繊維など、

そうした他社を引き離すような商品開発も常に先端を走る。



これほどの性能を有した衣類が、でもなぜ超低価格で買えるのだろう。



綿密なリサーチによる事業計画を描き、

強力な企画・デザイナー集団を抱え、

日本より安い労働力を得やすいところに工場を置き、

大量生産によりコストを下げ、

限りなく流通経路の無駄を省き、

それを確実に販売できる組織を作れたからだと思う。


こうして書くのはた易いことだが、

実際に作ることはじつにたいへんな仕事だったと思う。



ただ、ぼくがいつもこころに置いておきたいことがある。

それは非常に安い発展途上国の労働力によることも大きい、ということだ。



ぼくたちの国、日本も、

敗戦からここまで成長するために、

先進国にとっての「工場」と位置づけて、

安い賃金と、勤勉さ、器用さを武器に伸びてきた(と思っています)。


いつしかそれは台湾、韓国に、

そして中国から東南アジア諸国へと、移っていった。



これはいつまでも「公式」として成り立つのだろうか。

「最後の人」はいないのか。



今、ぼくたちは日用品から家電製品など、

かなりの割合で、このようなかたちで安価で良質なものを購入しているが、

フェア・トレード(公平貿易ですね)で、

不幸のないような形で発展してほしいと切に願う。



おや、話しがちょっと堅くなってしまいましたね(Twitter的にお読みください)。


もどそう。



そのユニクロが大量に売れたということは、

街中で同じ洋服を着ている人と会う可能性も飛躍的に多くなったということになる。

そういうことを「ユニバレ」というらしい。


ユニクロでもし問題があるとすれば、これくらいではないだろうか。




でもよく考えてみると不思議だな。



iPhone、iPadなどは、他の人と同じものを持っていても気にならない。

むしろ、

「あ、買ったんだね、おそろいだね」

「そう、買っちゃった。いいよね」

という具合か。



でも、衣類は、そうではない。


それは高価であろうと安価であろうと関係なく、

同じ洋服を着ているもの同士は、どこか気まずい気持ちがするものだ。

(ユニフォーム、スローガンTシャツなどはべつでしょうね)



他人とは異なる、自分を主張したいと願う気持ちは、

いったいなんなのだろう。



オリジナリティ。



世界中に星の数ほどある店。

そこから

「これ」

という自分好みの商品を探し出す。



自分好み?



自分って、なんだ?




人はなにを着ていても生きていられるはずなのだが、

嫌いな服を着るほど居心地の悪いものはない。



それって、なんだ?



ユニクロが発展してゆけばゆくほど、

「ユニバレ」したくない人間も増える。

それまでのすぐにゴムひもが伸びてしまうようなただ安いだけの衣料ではなく、

凄まじいインテリジェント機能集団から生まれた、

ある意味では究極的な商品を日々着ていると、

消費者の目も感覚も肥えてゆく。



そういった人々は、次はどこへ向かうのだろう。



ぼくは思う。

これからは手作業、手工業、家内工業などが熱くなる。



ここ・そこ、でしかできないなにか。



それがシャツでも手編みのセーターでもよい、

家具でも、料理でも、食器でも、なんでもよい。


熟練した人たちの手から生み出される、もの・こと。

歴史・文化の中から育まれてきた、もの・こと。

愛おしむ心で作られた、もの・こと。



自分で作れば、愛着もひとしおだ。



それらを愛おしんで、使う、味わう。



そんな時代が、すぐそこまで来ているような気がする。





おや、なにか作っているな。

三女の服.jpg
三女がルームウェアを作っています。


長女の服.jpg
長女が作っている、ブラウス(原価2千円しないそうです)。


ボタンアップ.jpg
ブラウスのボタン(120円)。


シャスティンさん.jpg
彼女たちの教科書(女将の愛読本)です。



最後はやっぱり、この写真です。

100910.jpg
今日の女将のパン。


手作り、いいよ。

楽しいよ。