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廃墟、フォークソングそして、再生。


一時帰国されたスペイン在住の

ひろこさんの英国人のご主人

Stewart Hartleyさんのお話しが

とても興味深かったので

須藤玲子さんとともに

インタビューさせていただきました。



彼は少年時代を

ランカシャー州ヘルムショアという

紡績の町に住んでおられ

お祖母様は紡績工場で働かれていたそうです。



やがて紡績工場は閉鎖され

廃墟になるのですが

それを彼とお父さまが修復し


P2070416.jpg
ミュージアムとなっているという。
(彼がメモしてくれました)



たまたま小黒森庵を見に来られ

そこに偶然、世界的に活躍中の

テキスタイルデザイナー須藤さんがおられ

この彼の話しがとても興味深かったので

再度時間をいただき

インタビューをしました。



これは、その記録です。


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私は父と共に

しばしば近くの

廃墟となった紡績工場を見に行っていました。


13〜4歳の頃だったと思う。



そこには朽ち果てた機械たちがありました。



一際目に焼き付いていたものは


Beam-Engine.jpg
Beam-Engine.png
Beam Engine(ビームエンジン)


そして


Water Wheel.jpg
Water Wheel(水車)。


水車の高さは2mくらいだったかな。



動く機械は一台もなかったし

まだその時は「ミュージアム」という考えはなく

これを直したら

また紡績工場として復活できるんじゃないか

という気持ちでいました。



その気持ちは私より

父の方が強かったかもしれない。



父は経理の仕事をしていたが

ほんとうは手先を使って

物を作る仕事に就きたかった人でした。



父はぼくとちがって

本当に手先が器用だった。


お祖父ちゃんの決めた道に従わなければならず
(お父さんの、お父さんという意)

経理をしていたが

その朽ち果てた廃墟を見た途端

なにかのスイッチが入ったようでした。



自分はむしろこの廃墟は

歴史的に面白いと思っていて

その村の歴史とか

人々がどういうコミュニケーションをとっていたか

などに興味がありました。



とくにフォークソングに興味を持っていて

図書館へ行っていろいろ調べてみると

紡績工場で働いていることに関連した内容の

歌が多いということが分かりました。



たとえば


“あるとき
インドでストライキがあって
綿花の輸入が途絶えた。

ということは工場自体が稼働しない
ということは人々の仕事がない
ということは人々は飢える。

人々の食べ物はイラクサのお粥だった”


そういうことなどが

歌を通じて私の中に入ってきたのです。



自分たちの主張を通すために行った

インドでのストライキというものが

イギリスの片田舎の工場へ影響を及ぼし

そこで働く人々たちが飢えてしまう

世界は繋がっているのだ

ということを実感しました。



そういうことが

私の生きる根っこのあたりにはあります。



ああ、話は、本題に戻りましょう(笑)。



廃墟で壊れた機械たちを見ていて

もしこの美しい機械たちを直したら

もう一度紡績工場として復活できるんじゃないかと

父と私は思いました。



ただ、そのときはミュージアムにするという考えは

まだ、ありませんでした。



“ビームエンジン” に関して

周囲の人々を訪ね歩き

情報を集めていると

どうやらそれは直せそうだ

ということが分かってきました。



じゃ、どうにかしてお金を集めて

紡績工場として復活させようと思い

人々が集う「PUB(パブ)」などに

募金箱を設置してもらいました。



たしか、その箱には

“ MACHINE ” とだけ書いた紙を

ペタっと貼ったくらいだったかな。



それが、始まりでした。



その頃、同時に

この建物はどこかにオーナーがいるはずだと思い

探すとそれは簡単に見つかりました。



そこで、自分たちは買い取りたいと申し出ました。


ちょうど仲間に弁護士がいたので

彼にオーナーシップをどうするかなどの相談をしました。


その頃、自分は大学へ行く時期になり

その話題から遠ざかることになります。



それまでの間

父はメカニズムに強い人間だったので

レストア関係に集中し

私はBlue Prints(青写真=機械図面)などを

図書館などで探しまくり

お互いの力を合わせて機械の修復に励みました。



やがてランカシャー州から資金援助が始まり

賛同者も増えてゆき

資金も集まるようになり

大きな流れになってゆきました。



結果としてミュージアムという形に落ち着いたけど

それは最後の最後の方で決まったのです。



あくまで紡績工場の機械をレストアして

なにか利益を生む形態にしようというのが

当初からの目的でした。



以上が、Hartleyさんのお話だった。



最後に、ぼくは質問する。


“なぜ、廃墟になった工場そして機械を

レストアして、布を織って、販売しよう

という気持ちになったのでしょう?


現代の機械でもできることを

なぜレストアして?


それとも、当時の機械の方が

特別な価値を見出せるような

布が織れたのでしょうか?”



彼の答えは、こうだった。



“ ふふふ、ちょっと考えてみてください

クラシックカーのレストアみたいなものです”



英国の人の根っこを垣間見た気がした。



最後に、彼はこういった。


「もしかしたら

ぼくと父の頭の中には

夢として

ミュージアムを作って

多くの人々に見てもらいたい

そういう気持ちがあったのかなと

今振り返ってみれば思います。


いまでこそランカシャーのミュージアムは

みんなに知れ渡って

シンボル的なものになっているけれども

ぼくたちの住んでいる近所の人たちが

ちょっと週末に遊びに来て

『昔は、こうだったんだよ』

というような話しの種になる

そんなことができたらいいな

とは思っていました」



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以上です。



現代日本の ”スクラップ&ビルド” の流れは

その、真逆です。



そろそろ本当に

この国の行方というものを

真剣に考えるときに来たんじゃないかな。



彼のお話を聞いていて

ぼくは

そんな気持ちを持ちました。



Hartleyさん、ありがとう。


そして通訳をしてくれた

ひろこさん、ありがとう。



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Helmshore Mills Textile Museum



インド・ムンバイの紡績工場:
Mumbai khadipar Bhiwandi


スチュワートさんが子どもの頃に
よく耳にしていた歌だそうです。



The Shurat Weaver

“ 紡績工場ができる前
コットン紡ぎは家での仕事

でも、あまりにひどい糸で
紡いだ糸は切れるばかり

布なんてできやしない
だから金も入らない “



そんな内容だそうです。


Helmshore Mills Textile Museum
Holcombe Road, Helmshore, Lancashire, BB4 4NP



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